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最高裁判所第三小法廷 平成4年(あ)167号 決定

本店所在地

東京都渋谷区代々木二丁目二九番地二号

株式会社オーシャンファーム

右代表者代表取締役

若松京子

本籍

栃木県下都賀郡石橋町大字下古山一四六九番地

住居

東京都渋谷区桜丘町四番一八-九〇一号

会社役員

若松俊男

昭和二四年二月二日生

右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、平成四年二月三日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人らから上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人君山利男の上告趣意のうち、憲法三八条三項違反をいう点は、被告人の自白が原判決の是認する第一審判決挙示のその余の証拠により十分補強されていることが明らかであるから、所論は前提を欠き、判例違反をいう点は、所論引用の判例は事実を異にして本件に適切ではなく、憲法三一条、三二条、三七条二項違反をいう点は、実質は単なる法令違反の主張であり、その余は、単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 尾崎行信 裁判官 園部逸夫 裁判官 可部垣雄 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫)

平成四年(あ)第一六七号・第三小法廷係属

上告趣意書

法人税法違反 被告人 株式会社オーシャンファーム

同 同 若松俊男

右の者らに対する頭書被告事件につき、東京高等裁判所が平成四年二月三日言渡した判決に対し、上告を申し立てた理由は左記のとおりである。

平成四年五月二七日

被告両名弁護人弁護士 君山利男

最高裁判所第三小法廷 御中

目次

第一点 原判決は、憲法第三一条、第三二条、第三七条第二項及び最高裁判例に違反する。・・・・・・一八二〇

第一 本件の争点、被告人らの主張について・・・・・・一八二〇

第二 原審における審理経過等について・・・・・・一八二二

第三 原判決の認定した右金一億二五〇〇万円をめぐる事実関係と右白石瑞男の検察官に対する供述に関する評価について・・・・・・一八二四

第四 右第一ないし第三の主張を踏まえ、原判決が憲法第三一条、第三二条、第三七条第二項はもとより最高裁判例にも違反していることについて・・・・・・一八三一

第二点 原判決は、憲法第三八条第三項に違反する。・・・・・・一八三五

第一 原判決の本件争点である支払仲介手数料をめぐる経緯、特に、時期に関する認定状況について・・・・・・一八三五

第二 原判決の右時期に関する認定の根拠とその当否について・・・・・・一八三九

第三 原判決の右時期に関する認定は重要な事実につき補強証拠を有しないものであることについて・・・・・・一八四一

第三点 原判決には、審理不尽に起因するところの判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。・・・・・・一八四二

第一 原審裁判所の重大なる審理不尽について・・・・・・一八四二

第二 原判決の重大なる事実の誤認について・・・・・・一八四二

第四点 原判決の量刑は、特に被告人若松俊男につき甚だしく不当であって、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。・・・・・・一八五〇

第一 原判決の情状に関する認定内容について・・・・・・一八五一

第二 原審の審理過程で出現した原審裁判所の真の量刑理由について・・・・・・一八五二

第三 ほ脱額五億円を超過する事案の執行猶予による処断例について・・・・・・一八五五

第四 原判決の情状に関する認定内容についての反論・・・・・・一八五七

第五 第二以下の反論に加えて原判決が有利な事情とした諸点をあわせ考えれば、被告人に対する実刑の処断は著しく正義に反する。・・・・・・一八六一

第一点 原判決は、憲法第三一条、第三二条、第三七条第二項及び最高裁判例に違反する。

第一 本件の争点、被告人らの主張について

一 本件の原審における最大の争点は、被告会社が昭和六二年三月期において西北実業株式会社宛に計上した支払仲介手数料合計金三億一〇〇〇万円のうち金一億二五〇〇万円が税法上の正当な経費であるかどうかという点であった。

すなわち、原審弁護人らは、

「原判示第二の二の事実については、検察官請求の支払仲介手数料(原価)調査書記載のとおりに、被告会社が昭和六二年三月期に西北実業株式会社宛に計上した支払仲介手数料合計金三億一〇〇〇万円が全て架空の計上であるとし、これが費用であることを否認して、被告会社の同期の所得を算定しているが、右認定は、右計上金額中には被告会社が西北実業株式会社に対して支払うべき正当な仲介手数料合計金一億二五〇〇万円が包含されていたことを看過した点において、重大な事実誤認を冒し、その結果、被告会社の昭和六二年三月期の所得額を誤っているものである。

すなわち、被告会社の昭和六二年三月期における西北実業株式会社宛の架空の支払仲介手数料の額は、右金三億一〇〇〇万円から西北実業株式会社が受けるべき仲介手数料額一億二五〇〇万円を控除した金一億八五〇〇万円であったにもかかわらず、これを看過して事実を誤認しており、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである。」

として、事実誤認を主張した。

二 そのうえで、原審弁護人らは、右の点に関する関係者である被告人若松俊男及び西北実業株式会社代表者白石瑞男の各供述内容を逐一指摘して、その不自然さを詳らかにする一方、特に右白石瑞男の検察官に対する供述及び証言内容と相反する資料を提出して、右白石瑞男らについて証人申請し、同人ほかに対する直接の取調べを求めた。

第二 原審における審理経過等について

一 原審弁護人らは、原審において、右のとおりの争点整理と主張に基づき、被告会社の西北実業株式会社に対する金一億二五〇〇万円の支払状況とこれについての西北実業株式会社の費消の経緯、状況を明らかにする資料として、

西北実業株式会社の昭和六二年八月期決算報告書

同社の太陽神戸三井(さくら)銀行の当座勘定元帳(写し)

同社の太陽神戸三井(さくら)銀行の普通預金元帳(写し)

同社の三井不動産ファイナンス株式会社に対する入金明細書

不動産売買契約書・不動産登記簿謄本

等を証拠申請し、これらの各書証は検察官の同意を得て、いずれも取り調べられた。

二 ところで、これらの資料は、原審弁護人らがその控訴趣意補充書の第一の二で指摘した事実関係、すなわち、

1 被告会社が期末を迎えた昭和六二年三月ころ、被告人と右白石瑞男との間で、被告会社が西北実業株式会社に対し、目黒区上目黒五丁目物件・品川区上大崎二丁目物件・渋谷区神泉町物件の取引手数料として支払うべき金額が合計金一億二五〇〇万円に確定していた。

2 被告人は、右の合意の実行として、同年八月二七日、西北実業株式会社に金一億一〇〇〇万円を支払うなど合計金二億一〇〇〇万円の支払いをした。

3 右の合計金のうちには、西北実業株式会社の被告会社に対する預り金などは全くなく、右白石瑞男は、同年八月末にこの収入の大半を当然のこととして取引資金に使用し費消した。

すなわち、西北実業株式会社は、被告会社から金一一億円で品川区東五反田一丁目一〇番五所在の宅地一三四・五九平方メートルを買入れるにあたり、三井不動産ファイナンス株式会社から金一〇億五〇〇〇万円を調達し得たのみで、この取引に必要な不足代金額金五〇〇〇万円、三井不動産ファイナンス株式会社への事務手数料金一〇五〇万円・六か月分の前払利息金三三四七万五四八円等の合計金九三九七万円余り及び所有権移転登記手続に要した登記諸費用を被告会社から受領した受取手数料で賄った。

4 右白石瑞男は、このようにこの金一億二五〇〇万円を収入であるからこそ当然のこととして費消した。

右のように費消された金員は西北実業株式会社の仕入れた不動産の仕入原価となっているのであって、公表のものであるにしろ簿外のものであるにしろ、およそ預り金などではなく、西北実業株式会社が預り金勘定として経理処理したことなど一切なかったのは当然である。

との事実関係の一端を客観的に裏付けるに足るものである。

三 ところで、右白石の検察官に対する供述調書における供述は、右の客観的資料によって認められる事実には全く触れておらず、かえって、これらによって認められる事実がなかったことを前提にして事実経過を説明しているものであった。

そこで、原審弁護人らは、真実の経緯を明らかにすべく、西北実業株式会社代表者白石瑞男及び同社の経理事務の経緯を知る張田和博の証人調べを請求した。

しかし、原審は、この請求を却下し、右の事実関係については実質的な証拠調べを全くしないままに結審した。

第三 原判決の認定した右金一億二五〇〇万円をめぐる事実関係と右白石瑞男の検察官に対する供述に対する評価について

一 原判決の右金一億二五〇〇万円をめぐる事実関係に関する事実認定は、後記本件上告の第二点及び第三点においても改めて詳述するが、右白石瑞男の検察官に対する供述調書の内容をほとんどそのまま引き写したと言って良いものである。

(もっとも、これにも重要な点で証拠に基づかない認定が存し、これについては後に明らかにする。)

二 原判決は、原審弁護人らが、客観的な資料を示して右白石瑞男の検察官に対する供述調書の内容につきその信用性を争い、同人及び関係者の証人調べを求めたのに対して、以下のとおりに判示している。

1 すなわち、原判決は、

「第一審弁護人は、白石の検察官に対する右供述調査を原判示第二の二の事実の証拠とすることに同意しており、また、その信用性を争う態度も示していない」

「白石は、右調書において、検察官から被告人作成の『仲介又は売買した物件の明細』と題する書面及びメモ等の関係資料を十分検討し、かつ、自ら作成した『若松さんからの指示で水増し領収(受領)しバックした状況等』と対する書面に基づき、被告人に依頼されて本件架空領収証三通を作成した経緯について具体的かつ詳細に供述しているのであって、その供述内容は大筋において被告人の供述とも一致している」

「被告人自身、捜査段階のみならず、第一審公判廷においても、所論の仲介手数料が架空のものであることを一貫して認めており、被告人の検察官に対する平成二年二月二二日付供述調書は、第一審において、同意書面として取調べられているのであって、その供述内容に疑いを挟むべき事情は全く窺えない」

「被告会社は、右の事実を前提として、昭和六二年三月期における法人税につき、同六三年三月二五日付で修正申告をしているのみならず、渋谷税務署長が平成二年六月一日付で減額の更正決定をしたが、その決定に異議の申立をした形跡は窺えない」

等の事情を列挙して、白石の前記供述を十分信用出来るとした。

2 右の理由付けからも判るように、原判決が白石の検察官に対する供述内容を信用できるとした最大の理由は、被告人及び右白石の検察官に対する供述調書がいずれも第一審において同意書証として取り調べられ、しかも、その信用性が争われたこともなく、各供述の内容は大要において一致しているという点にある。

原判決は、各供述調書が第一審において同意取調べされ、その信用性が問題とされていない以上、その供述内容の真実性は担保され、信用できるという考えのみにとらわれているのである。

しかしながら、供述調書に対する同意・不同意によって、その内容自体に真実性が付与されたり、されなかったりするものでないことは当然である。

しかも、右白石及び被告人の各検察官に対する供述調書中の本件に関連する供述部分が、前記のとおり、不充分かつ不正確なものであることからすれば、原判決のようにいうことができないことは明らかである。

しかるに、原審裁判所は、右の観点に立ち、これら関係者の検察官に対する供述調書に記載された供述内容のみに盲従し、その結果によって事実関係を認定しているのであって、これでは公開の法廷における審理を受けないのと同然の結果であり、実体的真実の発見に逆行した感があるとともに、原審裁判所には被告人及び原審弁護人らの真摯な主張に答えて実体的な真実を発見しようとする取組みが全くないと言わざるを得ないのである。

第一審弁護人らは、原審弁護人らが原審段階に至ってはじめて収集し得た西北実業株式会社側の所持する前記決算報告書等の各書証に接しないままに、やむなく機械的に前記の各検察官調書の取調べに同意したのであろうと考えられるが、被告人ら及び原審弁護人らが、原審においてはじめて新規の各書証を提出し得たことから関係人の直接取調べを求めているのに、第一審段階における右のような同意があるからといって、その一事を理由にこれら関係人に対する直接の取調べの途が否定されるのは、憲法第三一条、第三二条、第三七条第二項に違反することが明らかである。

被告人が、第一審における供述調書についての同意手続に縛られ、新たな証拠を用意することができても、取調べ済みの供述調書の内容について、これを弾劾することができないとすれば、これは第二審以後の裁判手続が実質的には存在しないと言うべき事態であって、このようなことは法定手続に違反し、被告人の裁判を受ける権利が全うされないものであって、被告人が「すべての証人に対して尋問する機会を充分に与えられる」との憲法上の権利を侵害されていることは明らかである。

三 つぎに、原判決は、原審弁護人らが、

「白石は、検察官に対する供述調査において、被告会社に対し、未だ九三〇〇万円を返済しておらず、預かり金として処理した旨供述しているが、その根拠が明らかでないのみならず、これが貸借であるとすれば、期限や利息等の約定がなされ、契約書類も存在する筈であるのに、これらのことが確認されていないばかりか、その供述内容は、当事者の特定も出来ない程に曖昧なものである上、西北実業において、右金員を預かり金として処理した形跡もなく、かえって、右金員の大半は同会社の不動産取引の資金として費消されているのであって、同人の供述は自己の保身のために作出された虚偽のものであるから、到底信用出来ない」

旨主張したのに対して、以下のとおり判示し、右白石の供述内容の信用性は何ら左右されるものではないとする。

1 すなわち、原判決は、

確かに、白石は検察官に対する供述調書において、「私の手元に残った一億二五〇〇万円につきましては、西北実業株式会社の預り金勘定として経理処理をしました。この一億二五〇〇万円のうちには、先にも話しましたように、この三物件の売買に関して私の方もその仲介等に尽力しておりますので、西北実業株式会社で戴けるべきお金も含まれておりましたが、その金額が未だ若松さんとの間で相談して確定していなかったことから、西北実業株式会社で戴けるべき金額が確定していない以上、預かり金勘定で処理するのが妥当であろうという考えのもとで行ったものです。その後、私は、この預かり金について公認会計士の山本先生にその真相を打ち明け、昭和六三年八月に精算しております。私の受け取るべき正規のお金としては、若松さんと相談し、合計三、二〇〇万円として確定したのです。しかし、私は、この差額の九、三〇〇万円については、未だ若松さんに返しておりません。なお、私及び西北実業株式会社と若松さん及び株式会社オーシャンファームとの間における金銭の貸借関係は、現在右のものが残っているだけです。」と供述していることが認められる。

しかし、右の供述自体からも明らかなように、その趣旨とするところは、被告会社と西北実業との間で、前記三物件に関する仲介手数料の支払につき、その金額が確定していなかったため、西北実業としては、その全額を利益として計上することはせず、預かり金として処理するのが妥当であると考え、その旨処理した経緯を供述しているに過ぎず、そして、右のように処理したことには、それなりに根拠を有しており、また、「私及び西北実業株式会社と若松さん及び株式会社オーシャンファームとの間における金銭の貸借関係は、現在右のものが残っているだけです。」と述べている点も、西北実業が被告会社に対し、九三〇〇万円の返還債務を負担している趣旨を明らかにしたものであって、特に右当事者間で貸借関係を結んだ訳でもないのであるから、その旨を取り決めた関係書類の存することが確認されていないとしても、格別不自然ということは出来ない。

とした上で、原審弁護人らの提出した提出した書証によって認められる事実を無視し得ないとことから、更に、これに一言触れて、

確かに、当審で取り調べた関係証拠によると、西北実業の昭和六一年九月一日から同六二年八月三一日までの間における第七期決算報告書添付の貸借対照表中には、預かり金として六二万〇八八〇円が計上されているのみで、所論指摘の九三〇〇万円は計上されていないが、B勘屋として、架空領収証の作成に関与した白石としては、右九三〇〇万円が被告会社の脱税により捻出されたものであることを十分承知していたので、その隠蔽工作に努めこそすれ、これを西北実業の公表帳簿に計上することは、およそ考えられないから、貸借対照表に預かり金として計上されていないことをもって、被告会社の正規の支払仲介手数料であるとはいえず、また、右九三〇〇万円の大半が西北実業の不動産取引資金に充てられたとしても、その一事から直ちに右金員が正規の支払仲介手数料であるとは到底いえない筋合いである。

白石の検察官に対する供述内容を十分検討しても、前記認定に副う供述に疑いを挟む余地は全くない。

との判断を示している。

もっとも、原判決の右判断は、それ自体九三〇〇万円に限った問題としている点において不正確であり、原審弁護人らの主張を誤解しているものであって(原審弁護人らは、白石の言に従うならば、西北実業株式会社の第七期決算報告書添付の貸借対照表中に金一億二五〇〇万円の計上がなければならないと指摘している。)、金九三〇〇万円という金額の計上などはそもそもなされる訳がないのであるから、この判断の理由それ自体が不備なものである。

2 右のような理由の不備に目をつぶり、これを暫く置くとしても、原判決の右判断は、ことごとく原審裁判所の勝手な推測と独断とに基づいているのであって、原判決が右白石に対して直接の確認をしないままに断定し得ることではない点を多数含んでいるのである。

第一に、原判決は、

「その金額が確定していなかったため、西北実業としては、その金額を利益として計上することはせず、預かり金として処理するのが妥当であると考え、その旨処理した経緯を供述しているのに過ぎない」

とするが、手数料額が確定していたか否かが争点であり、確定していなかったとするには右白石の供述には信用性がないと主張しているのであるから、右のような「確定していなかった」との前提に立っての理由付けには論理の矛盾があると言わざるを得ない。

第二に、原判決は、

「私及び西北実業株式会社と若松さん及び株式会社オーシャンファームとの間における金銭の貸借関係は、現在右のものが残っているだけです。」と述べている点も、西北実業が被告会社に対し、九三〇〇万円の返還債務を負担している趣旨を明らかにしたものであって、特に右当事者間で貸借関係を結んだ訳でもないのであるから、その旨を取り決めた関係書類の存することが確認されていないとしても、格別不自然ということは出来ない

とするが、原判決が『特に右当事者間で貸借関係を結んだ訳でもないのであるから』とする点は、一体いかなる証拠に基づいた認定を基礎にする判断であるのかが不明であり、これもまた原審裁判所のまったくの独断であると言わざるを得ない。

第三に、原判決は、

「確かに、当審で取り調べた関係証拠によると、西北実業の昭和六一年九月一日から同六二年八月三一日までの間における第七期決算報告書添付の貸借対照表中には、預かり金として六二万〇八八〇円が計上されているのみで、所論指摘の九三〇〇万円は計上されていないが、B勘屋として、架空領収証の作成に関与した白石としては、右九三〇〇万円が被告会社の脱税により捻出されたものであることを十分承知していたので、その隠蔽工作に努めこそすれ、これを西北実業の公表帳簿に計上することは、およそ考えれらないから、貸借対照表に預かり金として計上されていないことをもって、被告会社の正規の支払仲介手数料であるとはいえず、また、右九三〇〇万円の大半が西北実業の不動産取引資金に充てられたとしても、その一事から直ちに右金員が正規の支払仲介手数料であるとは到底いえない筋合いである。」

としている点については、前記のような理由不備が存し、原審裁判所が原審弁護人らの主張と本件事案の内容を正確に理解しているのか疑問とせざるを得ない面が窺われる上、その結論付けにあたって、「その隠蔽工作に努めこそすれ、これを西北実業の公表帳簿に計上することは、およそ考えられないから」との理由を付しているのであるが、このような結論は右白石の主観にかかわることであるから、同人を取り調べてみなければ、はっきりした評価と判断を得ることが出来ない結論であって、原審裁判所の全くの推測に基づく勝手な理由付けであるに過ぎないと言わざるを得ない。

四 原審弁護人らの詳細な指摘と主張とがあったにもかかわらず、原判決は、必ずしも原審弁護人らの主張を正確に理解しているとは認められない上、右に指摘したような根拠のない推測と独断とに基づく理由を付けて、原審弁護人らの提出した書証の内容が示している事実の持つ意味をことごとく無視し、強引に、西北実業株式会社代表者白石瑞男の検察官に対する供述調書が信用性のあるものとしているのであるが、それは理由に合理性のないもので、被告人らの証人取調べ請求を却下するに足るものとは到底言えず、原判決が憲法第三七条第二項に定める被告人らの権利を侵害していることは明白であると確信する。

第四 右第一ないし第三の主張を踏まえ、原判決が憲法第三一条、第三二条、第三七条第二項はもとより最高裁判例にも違反していることについて

一 本件の争点は、被告会社の昭和六二年三月期において、被告会社の西北実業株式会社に対する支払仲介手数料が金一億二五〇〇万円に確定していたか否かであり、これを判断するに足る証拠としては、前記の西北実業株式会社代表者白石瑞男の検察官に対する供述調書の供述記載があるのみであるが、同人のこの供述自体が、前記のとおり、客観的資料に照らして不充分かつ不正確なものであるから、これに従って判断することこそがそもそもまったく不可能なのである。

しかるに、原判決はこれに信用性を認めているのであるが、その論拠は既に述べたように推測と独断に終始しているものであって、到底是認し得るものではないのである。

二 ところで、原審裁判所は、控訴審裁判所として原審弁護人らの「控訴趣意書に包含された事項は、これを調査しなければならない」(刑事訴訟法第三九二条第一項)。

しかるに、原判決は、右白石の検察官に対する供述調書における供述に信用性を認めた(その判断自体が推測に基づく独断によるものであり、矛盾を内包した決め付けに過ぎないことは既に述べたところである。)ことで、その供述内容を更に子細に検討することをしていないのである。

原判決は、右支払仲介手数料が金一億二五〇〇万円に確定していたか否かの点について、右白石の検察官に対する供述調書の記載にしたがって、

被告人は、小澤税理士の用意して来た株式会社エヌ・ケー・イー名義の架空領収証等を利用する一方、前記三物件の取引に絡めて、西北実業からも自ら架空の領収証を取り付けようと企てて、同年五月ころ、右白石に対し、「オーシャンファームの六二年三月期も相当な利益が出てしまいましたので、前年と同じようにオーシャンファームの利益を圧縮するために協力してくれませんか。ついては、この三物件につき、白石さんにその手数料として支払わなければならないお金がありますので、そのお金に上乗せした形で全部で二億一〇〇〇万円の領収証を日付を遡って先に切って頂けませんか。」と架空領収証の作成方を依頼した。

との事実を認定しているのであるが、原審弁護人らの主張した昭和六二年三月ころの手数料確定の事実の有無については何らの調査、検討をせず、これに対する調査結果を判決理由中に明示することをしていないのである。

控訴趣意書に包含された事項に関する調査の結果については明示されなければならないのは言うまでもないが(青林書院新社・高田卓爾著「刑事訴訟法」改訂版五五八頁)、原判決は、ただ右白石の供述記載をそのまま引き写しただけで、何らの理由も示していないのである。

原判決に百歩を譲って、右に指摘した認定がこれに関する調査結果のようにも理解されるが、それにしても、後記のように、右白石の検察官に対する供述に拠るならば、原判決の認定にある「被告人が白石に対して架空領収証の作成方を依頼した時期は(もっとも、被告人ら及び原審弁護人らの主張は、白石の供述しているような経緯と被告人の言動があったとすることこそが疑問であるとするものである。)

原判決が判示している 『昭和六二年五月ころ』

ではなく、

白石供述に明示されている 『昭和六二年三月ころ』

であるはずである。

このことは、原判決の右説示部分と右白石の検察官に対する供述書中の右説示に該当する部分とを対比すれば、まさに一目瞭然であり、何故この時期の認定だけが白石供述と異なるのか不思議な位である。

ところが、原判決は、何故かこの時期についての部分についてのみ右白石供述を排除しているのであって、いかなる証拠に基づきこのような時期の特定をしたのかすら判然とせず、このような雑ぱくな事実関係の認定がされているだけに、そもそも、原審弁護人らの主張に答えて、その理由を明示していないと言わざるを得ないのである。

これでは、原判決は実質的には判決と言えないし、被告人は控訴審における裁判を受けたことにはならない。その意味において、原判決が憲法第三一条、第三二条に違反することは明らかである。

三 既に指摘したように、原判決は、合理的な理由付けもないままに、右白石の検察官に対する供述調書中の供述を無批判に採用し、原審弁護人らがこれとは明らかに相反する事実関係を示している各種資料を提出した上で各関係者の証人調べを請求したのに、一方的にこの申請を全て却下したのである。

ところで、被告人ら及び第一審弁護人らはもとより、本件捜査に当たった検察官らまでが、前記の各種資料を承知していたとは思えないところである。何故かと言えば、もしも検察官らがこれらの資料の存在を承知していたならば、右白石の供述は当然のこととしてこれらの資料によって認めれる事実関係に触れていなければならないし、これら資料によって認められる事実関係についての説明を含んでいるのが当然であるのに、そのような供述記載が全く見受けられないからである。

そして、このことからだけでも、右白石の供述が不充分、不完全なもので、およそ信用性のないものであることが明らかなのであるから、これを補正する必要があり、そのためには右白石から直接に事案の全経緯に関する説明を受けたことが絶対に不可欠である。

してみれば、原審裁判所が右白石を直接取り調べるべきは当然のことであり、原審弁護人らの証人申請を一方的に却下したのは採証法則に反する重大な瑕疵のある手続というべきであって、前記のとおり、理由にならない理由を羅列して、右白石の検察官に対する供述記載のままに事実を認定している原判決は重大な適法手続違反を冒しており、原判決が憲法第三一条、第三七条第二項に違反することは明らかであると言わなければならない。

四 加えて、最高裁判所昭和三二年二月一二日判決(刑集一一巻二号九三九頁)は、

第一審判決が、起訴にかかる控訴事実を認めるに足る証拠がないとして、被告人に対し無罪を言い渡した場合に、控訴裁判所が右判決を事実を誤認したものとして、これを破棄し、何ら事実の取調べをすることなく、訴訟記録及び第一審裁判所で取り調べた証拠のみによって、直ちに被告事件について犯罪事実の存在を確定し、有罪の判決をすることは許されないところである。

と判示するところである。

右判例は「不意打ち禁止の法理」を宣明しているのであって、その趣旨と精神は何よりも尊重されなければならないところである。

なるほど、本件の第一審判決は無罪ではない。しかしながら、被告人ら及び原審弁護人らは、控訴審に至って、はじめて関係者の証言内容を疑わせるに充分な証拠(前記の各書証)を探し出せたことから、これらを法廷に顕出した上、当該関係者を証人として取調べる必要性を明らかにして、これを求めたのである。

しかるに、原判決は、これらの証拠によって当然に認められ、しかも原審弁護人らの主張に沿うところの事実を、理由もなく強引に無視し、何ら実質的な事実についての取調べをしないままに、第一審判決と同様の被告人らにとって不利な事実を認定したのであって、このような原審裁判所の採証方法が最高裁判所の前記判例の趣旨に反することは明白である。

これは明らかに憲法第三一条、第三七条第二項に違反するだけでなく、前記の最高裁判所の判例に違反するものである。

以上のとおりであって、原判決が憲法第三一条、第三二条、第三七条第二項及び右最高裁判例に違反することは明らかであり、到底破棄を免れないものと確信するものである。

第二点 原判決は、憲法第第三八条第三項に違反する。

第一 原判決の本件争点である支払仲介手数料をめぐる経緯、特に、時期に関する認定状況について

一 既に指摘したところでもあるが、原判決は、本件で争点となっている支払仲介手数料をめぐる経緯を摘示しているが、その出発点となる事実として、

被告人が、昭和六二年五月ころ、右白石に対し、「オーシャンファームの六二年三月期も相当な利益が出てしまいましたので、前年と同じようにオーシャンファームの利益を圧縮するために協力してくれませんか。ついては、この三物件につき、白石さんにその手数料として支払われなければならないお金がありますので、そのお金に上乗せした形で全部で二億一〇〇〇万円の領収証を日付を遡って先に切って頂けませんか。」と、架空領収証の作成方を依頼した。

との事実を認定している。

その上で、これを発端とする以後の経緯を順次説示し、最後に、

その後、昭和六三年八月一〇日に至り、白石と被告人との間で、被告会社が西北実業に対し、前記各物件に関する正規の仲介手数料として、合計三二〇〇万円(上目黒物件につき一〇〇〇万円、上大崎物件につき一二〇〇万円、神泉町物件につき一〇〇〇万円)を支払う旨の合意が成立したので、西北実業は、これを取得すると共に、その旨を記載した被告会社宛ての同日付領収証三通を作成して被告人に交付した。なお、残額九三〇〇万円については未だに清算がなされず、西北実業において預かり保管中である。

との各事実を摘示し、認定している。

二 右一で摘録したところで明らかなように、原判決は、被告人と西北実業株式会社代表者白石瑞男との間で、本件に関連する折衝がはじめて行われたのは昭和六二年五月ころ(同年三月期末を過ぎた同年五月ころ)のことであるとし、これを最も重要な基本的な事実であるとの前提に立って、

以上の認定のとおりであって、西北実業は、被告会社が昭和六二年三月期中に行った前記三物件の取引につき、それが「仲介」に当たるか否かはともかく、何らかの関与をしており、被告会社に対し手数料を請求し得る立場にあったことは認められる。しかし、被告人は、白石からの催促に対し、言を左右にして期中にはその支払いをしていないのみならず、支払うべき金額を明示することもしていないのであって、結局、同期中には西北実業に対する手数料支払債務は確定していなかったものといわざるを得ず、したがって、これを同期における被告会社の損金に計上するに由ないところである。

被告人が、右手数料に上乗せする形で、かつ、日付を遡らせて架空領収証の作成を依頼したのは、同年三月期末を過ぎた同年五月ころのことであり、しかも、その時点でも西北実業の取り分を明示することなく、単に領収証の額面を合計二億一〇〇〇万円にすることを依頼しているに過ぎない。

(中略)

その後、被告会社に査察が入るに及び、被告人は、急遽西北実業に一億一〇〇〇万円を振込送金して、前記手形の一億円と合わせ、前記領収証金額に見合う金額の移動があったように取り繕っているが、事後的にそうしたからといって、昭和六二年三月期中に本件手数料支払債務が確定したことにならないのはいうまでもないところである。

との結論に至り、被告人ら及び原審弁護人らの主張を排斥している。

すなわち、原判決は、被告人と右白石との間の支払仲介手数料をめぐる折衝が行われたのは昭和六二年五月ころ以降のことであるとすることによって、およそ原審弁護人らの主張するような昭和六二年三月ころにおける右支払仲介手数料の確定の事実など存在し得る訳がないとしているのである。

三 してみると、右の『昭和六二年五月ころ』という時期に関する認定は重大な意味を持つものであることになるのであるが、一件記録を精査してみても、原判決のようにこの時期を『昭和六二年五月ころ』と特定し、認定するに足りる補強証拠は何ら見出せないのである。

前記の白石の検察官に対する供述調書の記載を見ても、同人は、検察官に対して、この時期について、明確に、

それで、私は若松さんに早く手数料を支払ってくれるように催促していたのですが、若松さんは決算期まで待ってくれと言って、なかなか応じてくれませんでした。

そうしたところ、昭和六二年三月ころ、若松さんから前記と同様に

オーシャンファームの六二年三月期も相当な利益が出てしまいましたので、前年と同じようにオーシャンファームの利益を圧縮するために協力してくれませんか。

ついては、この三物件につき、白石さんにその手数料として支払われなければならないお金がありますので、そのお金に上乗せした形で全部で二億一〇〇〇万円の領収証を日付を遡って先に切って頂けませんか。

と頼まれてしまったことから、目黒区上目黒五丁目物件に関しましては、昭和六一年一〇月一五日付けの四〇〇〇万円の架空領収証を、品川区上大崎二丁目物件につきましては、昭和六一年一月一一日付けの一億円の架空領収証を、渋谷区神泉町物件に関しましては、昭和六一年九月一六日付けの七〇〇〇万円の架空領収証を、それぞれ西北実業株式会社名義で日付を遡って発行して若松さんに渡し、協力したものです。

と供述しているのであって、原判決の判示とは相違する

『昭和六二年三月ころ』

という時期を明言しているところなのである。

そうであるにもかかわらず、原判決は、事実認定にあたって、原判決の判文と白石の検察官に対する供述記載とを対照すれば明らかなように、右白石の検察官に対するこの部分に関する供述記載をそのまま引用しながら、何故か、その時期だけは、白石の証言とは異なる

『昭和六二年五月ころ』

であると認定しているのである。

この時期は前記のように重要な意味を持つものであるにもかかわらず、原判決は、何らの理由を示さず、突然に、この部分だけ書き直したとも言えるような「昭和六二年五月ころ」との事実を認定しているのであって、原判決のこの摘示は全く不可解なものであるというほかないのである。

第二 原判決の右時期に関する認定の根拠とその当否について

一 ところで、原判決の摘示したこの「昭和六二年五月ころ」という時期の認定は、被告会社の昭和六二年三月期中には西北実業に対する支払仲介手数料が確定していなかったとする最大の論拠となるものであるから、被告人らの刑責を左右する極めて重要な事実である。

すなわち、これは被告人ら及び原審弁護人らの主張をこの一事によって排斥し、被告人らにとって不利益な事実を認定することとなるものである。したがって、この時期を確定するためには各たる補強証拠が存在しなければならないところである。

しかるに、前記のとおり、右白石の検察官に対する供述調書の供述記載によっては、原判決のように「昭和六二年五月ころ」とは認定し得ず、かえって、「昭和六二年三月ころ」と認定されるのが当然である。

加えて、右白石の検察官に対する供述を除けば、この時期を特定するに足りる客観的な証拠資料は何らないところである。

そこで、これについては右白石供述に従って「昭和六二年三月ころ」とするのが現時点での証拠による認定であるはずである。

二 しかしながら、原判決は敢えて「昭和六二年五月ころ」としている。

そこで、原判決の右認定に沿う証拠を一件記録中でさらに探索すると、なるほど、被告人の検察官に対する供述調書の供述中に、わずかに、

西北実業に対する架空支払手数料分の領収証は六二年五月に入って六二年三月分の申告をする少し前ころ、白石社長に頼んで作成してもらいました。

との極めて簡略な記載があり、これのみが原判決の右の時期に関する認定文言に符号しているもののごとくである。

したがって、原判決はこれに拠ったと考えられるが、右被告人の供述は、自白自体としても、確たる裏付資料に拠ったものでもなく、また、前記の白石の時期に関する供述との相違についての合理的な説明を含むものでもない簡略なものであることから凡そ信用性に乏しいものであり、むしろ、検察官においても原判決と同様の意図のもとに被告人を誤導した結果ではないかとの疑いを抱かざるを得ない程のものである。

このようにその供述内容自体にも疑問があると考えられるが、いずれにしても、右の被告人の供述のみをもって時期の特定することは許されないことである。

第三 原判決の右時期に関する認定は重要な事実につき補強証拠を有しないものであることについて

一 右第一、二において検討したように、原判決の「昭和六二年五月ころ」との時期に関する認定は、これに符号する証拠資料が前記の被告人の検察官に対する供述調書中の供述記載のほかにはないので、これに拠ったとしか考えられないのであるが、そうであれば、このような本件の争点に対する評価と結論を左右する重要な事実(時期)を被告人の凡そ信用性に付与しがたい自白のみによって認定していることになる。

そして、原判決は、このようにして特定された時期を前提として前記の結論を導き出し、被告人らに不利益な事実を確定しているのであるから、この点に関しては、結局、何らの補強証拠に拠ることもなく、被告人にとって不利益な事実をその自白のみによって認定し、その主張を排斥していることとなるのであって、原判決が憲法第三八条第三項に違反していることは明らかである。

二 翻って、原審裁判所は、被告人らが第一審において特段の主張をしていない(もっとも、これは被告人が第一審段階において反論のための資料が存在することを知らなかったために、第一審では原審におけるような主張をなし得なかっただけのことである。)ことを盾に取り、およそ被告会社の昭和六二年三月期中には、被告人と右白石との間では、本件争点である支払仲介手数料をめぐる何らの折衝もなかったとの事実を強引に認定し、このことによって原審弁護人らの主張を封殺するために、右白石供述のうち原判示に不都合な部分(これまでに指摘した時期についての部分)を何らの補強証拠に拠ることなく別異に認定し、原審弁護人らの請求する証人調べを回避して、安直にその主張を排斥する結論に到達しようとしたのではないかとしか思えないのである。

このようにしか理解できない原判決の審理状況は、裁判所自らが裁判を放棄することにほかならないのであって、極めて重大かつ容易ならざる事態であると言わざるを得ない。

以上のとおりであって、原判決が右の認定において憲法第三八条第三項に違反することは明らかであり、原判決はこの点においてもまた破棄を免れないものと確信する次第である。

第三点 原判決には、極めて明白な審理不尽に起因するところの判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。

第一 原審裁判所の重大なる審理不尽について

本件上告趣意の第一点及び第二点の中で縷々指摘し、詳述したように、原判決は、適正な証拠に拠らずに結論を左右するところの重大な事実を認定し、これとは逆に、かえって重要参考人である西北実業株式会社代表者白石瑞男の検察官に対する供述を無批判に採用し、これに拠って被告人に不利益な事実を認定している。

本件においては、まず何よりも右白石から直接に事案の経緯を聞き取らなければ、実体的な真実、すなわち、本件争点をめぐる事実関係の全経緯を発見することは不可能なのである。

にもかかわらず、原審裁判所はその労をとろうとせず、極めて明白かつ重大な審理の不尽を冒しているのである。

その結果として、原判決には判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認が存するに至っているのである。

第二 原判決の重大なる事実の誤認について

一 原審弁護人らは、

被告会社の昭和六二年三月期中に西北実業株式会社との間でその受け取るべき仲介手数料が金一億二五〇〇万円に決せられていたものであり、この事実は関係者である前記白石瑞男により秘匿されたまま、捜査が終了し、その後の裁判が進行してしまったので、同人を取り調べられたい。

として本件控訴を申し立てたのであった。

これに対し、原判決は、

原審記録及び証拠物を調査して検討するに、原判決が原判示第二の二のとおり認定判示した事実は、正当として是認することが出来る。所論に鑑み、更に補足して説明するに、原判決の挙示する関係証拠によると、次の事実を認めることが出来、これに反する被告人の当審公判廷における供述は他の関係証拠に照らし到底措信することは出来ない。

として、これを排斥したのであるが、原判決の事実認定は採証法則を誤った結果、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認をきたしているのである。

そこで、以下にこれを明らかにする。

二 まず、原判決が信用性ありとした西北実業株式会社代表者白石瑞男の検察官に対する供述調書における供述は、これまでに指摘したように、到底信用性の認められるものではない。

本件の最大の争点は、被告会社の昭和六二年三月期において、西北実業との間で支払仲介手数料が金一億二五〇〇万円に確定していたか否かであるが、これについての肯否の判断は、一件記録によっては不可能であって、右白石瑞男を直接取り調べなければ到底結論を得ることはできないのである。

このことは、原審弁護人らが法廷に顕出した客観的な資料によって認められる事実をあわせ考えるとき、また、前記の時期に関する認定の問題を考えるとき、まことに明らかであるが、なお加えて、右白石の供述には、以下のとおり、数々の疑問点があるのである。

すなわち、その疑問点は、以下の、

1 右白石が、昭和六二年八月末ころ、前記のとおり、被告会社から支払われた合計二億一〇〇〇万円の内から一億円余りを当然のことのように費消し、これが西北実業の取得した不動産の仕入原価となっているのは何故か。

(なお、被告会社にとっては確定した経費の支払をしただけであり、西北実業にとっては収入・所得を得ただけのことであるから、右のように費消し、これが仕入原価として処理されたのは当然のことである。)

2 右から明らかなように、右白石は、この一億二五〇〇万円につき、検察官に対して「預かり金である。」と供述しているにもかかわらず、公表はもとより簿外としても、預かり金と言えるような取扱と処理をしていないのは、何故か。

原判決は、この点に関して、

なお、残額九三〇〇万円については未だ清算がなされず、西北実業において預かり保管中である。

とするが、右1のとおり、仕入原価として経理処理されているものが預かり金であるなどと言えるはずもないのではないか。

(なお、前記のとおり、この一億二五〇〇万円は西北実業の収入であり、所得であるからこそ、預かり金としての処理などなされる訳がないのである。)

3 原判決は、

その際、被告人は、白石に対し、「架空領収証の件がばれないように、西北実業宛に二億一〇〇〇万円を出しますので、そのうち、上目黒物件については、一〇〇〇万円をアップルシティに、上大崎物件については、五〇〇〇万円をシーランドエンタープライズに、神泉物件については、二五〇〇万円を吉村興産にそれぞれ渡してくれませんか。」といって、その支払方を依頼した。

とするが、被告人が、手数料額が確定していなかったというならば、その全てについて指示してもよいのに、八五〇〇万円のみについて指示し、しかも、その後、残余の返還や手数料額の確定をしなかったのは、何故か。

(なお、被告会社にとっては、一億二五〇〇万円については確定した経費の支払をしただけであるから、これについて西北実業に対して何らかの指示などできる筋合いではなく、その余の八五〇〇万円についての指示ができるだけであり、したがって、右の指示の経緯は至極当然のことである。)

4 右白石においても、被告人とこの点につき何らの取り決めをしなかったのは、何故か。

(なお、被告人と白石とは口裏合わせをしたというのであるから、これを話題にすることはいくらでもできたはずである。また、取決めをしなかったのはそのような必要などまったくなかったからに他ならないのである。)

5 右白石は、被告人に返還すべき金九三〇〇万円があるとするにもかかわらず、これの返還について、その後、何らの挙にも出ていないのは、何故か。

(なお、西北実業はそもそも一億二五〇〇万円の所得計上をすべき立場にあったのに、これをせずに頬かむりしようとしたに過ぎないのであって、被告会社に対する返還義務など負っていなかったのであるから、右の事後の推移は極めて当然のことである。)

と言った点であって、これらは原審一件記録を子細に検討して見ても解けぬ疑問として残るのである。

三 これらの当然解明されなければならない数々の疑問点について、原審裁判所は何らの審理の手立てを取っておらず、全く不問に付しているのであるが、原審弁護人らの主張に応えるためには是非とも審理を尽くし、疑問を払拭し得たと言うに足りるだけの理由の説示がなければならなかったところである。

しかるに、原判決は、前記のとおり、

被告人は、小澤税理士の用意して来た株式会社エヌ・ケー・イー名義の架空領収証等を利用する一方、前記三物件の取引に絡めて、西北実業からも自ら架空の領収証を取り付けようと企てて、同年五月ころ、右白石に対し、「オーシャンファームの六二年三月期も相当な利益が出てしまいましたので、前年と同じようにオーシャンファームの利益を圧縮するために協力してくれませんか。ついては、この三物件につき、白石さんにその手数料として支払わなければならないお金がありますので、そのお金に上乗せした形で全部で二億一〇〇〇万円の領収証を日付を遡って先に切って頂けませんか。」と架空領収証の作成方を依頼した。

との事実を認定し、本件争点をめぐる事実経過のうちで発端の時期を『昭和六二年五月ころ』と断定することによって、全てを結論付けているのである。

なお付言するに、この認定が証拠に拠らないものであることについては前述したとおりである。

四 ところで、原審弁護人らは、

被告会社が期末を迎えた昭和六二年三月ころ、被告人と右白石瑞男との間では、被告会社が西北実業株式会社に対し、目黒区上目黒五丁目物件・品川区上大崎二丁目物件・渋谷区神泉町物件の取引手数料として支払うべき金額が合計金一億二五〇〇万円に確定していた。

との事実を主張しているところ、確かに、一件記録中にはこれを直接認定するに足りる証拠資料はない。

しかしながら、これを間接的に推認させる証拠は存在するのであって、それは本件共犯者である小澤清の検察官に対する平成二年二月二六日付け供述調書の第九項以下の供述記載である。

右小澤は、同調書の右供述記載部分において、

昭和六二年一月一九日には、私はオーシャンに出向き若松社長と会っております。

それは、昭和六二年三月期の決算について、利益の圧縮をどのようにするかと再度の相談をしたものであります。

このとき本職は東京国税局領置の符第二〇〇七-一「メモ書」中のメモ一枚を示し、その写しを資料一三として調書末尾に添付する。

これは欄外に日付が入っておりますように一月一九日にオーシャンで若松社長と打ち合せをしたときに私が書いたメモです。

私のアバウトではありましたが、その計算によると約一六億位のあら利が出て管理費などを引くと大体一四億位に落ち着くのではないかと思っておりました。

私と若松社長とで

一四億位の利益が出ますね

そして、これまでに架空契約書を作って消したい分はエヌ・ケー・イーの二億円分ですね。

などと確認をしながらこのメモを書いて行ったのでした。

対応分の〈イ〉のN・K・E二億円の下に

小金井テナントビル除却 3000万

と書いてあるのは、私の名義になっている小澤ビルにオーシャンが入るということで、私の関与先であります和同建設にその内装工事をしてもらうということでオーシャンが三〇〇〇万円払った分であります。

なお、この三〇〇〇万円については 和同建設に支払われたことは間違いありませんが、それがその後バックされているかどうかはわかりません。

そして、そのあと、このメモに〈ロ〉として

〈省略〉

と書いてありますが、私と若松社長とで明倉と松竹の関係で二億円の架空領収証を西北実業の関係では一億円の架空領収証を書いてもらってはどうかというような話をして、このような記載になったのでした。

前年の一二月一一日に検討した様子は資料二について説明したとおりでありますが、そのときには、その資料二の末尾に書いてありますように、全部で今後五億一〇〇〇万円分の架空領収証を書いてもらうことになっており、それを一二月二五日までに実行する予定のところが実現しなかったためにやはりその線に沿ってやろうということで、既に実行分のエヌ・ケー・シーの二億円を引いた三億円分が「今後対応する分」という形で話し合いになり、このような方針でやるということになったのでした。

と供述しているのである。

五 右の小澤供述によれば、被告人と共犯者小澤は、昭和六二年一月一九日ころ、被告会社の同年三月期の所得の圧縮について検討し、その際、「西北実業の名義」を利用して約一億円を圧縮することが決定されているのであり、この談合の結果に基づいて以後の処置が取られているのである。

他方、被告人は、同年八月末ころ、西北実業株式会社代表者白石瑞男に対して、それまでに同社に送金した二億一〇〇〇万円のうち合計金八五〇〇万円をアップルシティほか二社に移動することを指示している事実があり、これは右談合内容に対応する処置と認められるものである。

そこで、この二つの事実を対照してみると、まさに、事前の計画と事後の処理とが符号しているのである。

してみると、既に指摘した疑問点である「被告人が、手数料額が確定していなかったというならば、二億一〇〇〇万円の全てについて指示してもよいのに、八五〇〇万円のみについての指示しかせず、しかも、その後、残余の返還や手数料額の確定をしなかったのは、何故か」という点についての疑問はまさに氷解するのである。

そして、それと同時に、このことは、原審弁護人らの主張する

被告会社が期末を迎えた昭和六二年三月ころ、被告人と右白石瑞男との間では、被告会社が西北実業株式会社に対し、目黒区上目黒五丁目物件・品川区上大崎二丁目物件・渋谷区神泉町物件の取引手数料として支払うべき金額が合計金一億二五〇〇万円に確定していた。

との事実が、右の二つの事実を繋ぐ中間の事実として存在していたことを充分に推認させるのである。

ここで、今一度、右白石が、折衝の発端の時期を『昭和六二年三月ころ』(同人がこの時期について虚偽の申述をする必要はおよそないものと言うべきである。)と述べていることを想起していただきたいのである。

前記小澤供述とこの白石の供述並びに前記の金員移動処理の事実を合わせて考えれば、前記のとおり、原審弁護人らの主張は十二分に推認されるとともに、前記の数々の疑問に対する解答が自ずと浮かび上がるにもかかわらず、原判決は、原審弁護人らの主張に思いを致さず、これらの証拠の持つ意味を看過して、ただただ右白石の疑問に満ち、原審弁護人らの提出した前記の各書証によって認められる事実についての説明すら欠如しているところの供述のみを無批判に採用し、これに機械的に依拠した結果、重大な事実誤認を冒していると言わざるを得ないのである。

いずれにしても、原審裁判所の審理態度は、このように見てくると安直の一語に尽きるのであって、原審において、原審弁護人らの主張が真摯に検討され、その上で本件一件記録が精査されたなどとは全く思えないとともに、ますます、右白石らに対する証人調べをしなかったことの瑕疵の重大さを感得せざるを得ないのである。

以上述べたところから明らかなように、原判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、これを破棄しなければ、著しく正義に反するものであると確信し、この点からも本件上告に及んだ次第である。

第四点 原判決の量刑は、特に被告人若松俊男につき甚だしく不当であって、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。

原判決は、右被告人を懲役二年の実刑に処した第一審の判決は重きに失し不当であるとの弁護人の主張を排斥して控訴を棄却した。

しかし、たとえ前記の金一億二五〇〇万円の点について、これが逋脱所得を構成するとの前提で考えても、被告人に対する実刑の処断は、以下の諸々の情状に照らして甚だしく重きに失し不当であって、原判決を破棄しなけれは著しく正義に反するものと確信する。

第一 原判決の情状に関する認定内容について

原判決は、第一審判決の量刑はまことにやむを得ないものであって、これが重きに失し不当であるとは考えられないとして、概ね、以下の諸事情を指摘している。

一 原判決が不利に判断した諸情状について

原判決は、被告人らに不利な事情として以下の点を指摘した。

1 本件は、被告人が単独あるいは税理士の小澤清と共謀の上で、被告会社の三事業年度にわたり、法人税合計五億一九一一万五二〇〇円を免れたというもので、犯行が長期に及んでいる上、そのほ脱額が高額であることはもとより、三事業年度を通じたほ脱率も約六九・八一パーセントと高率である。

2 本件犯行の動機は、将来不況の到来することを慮り、それに備えて被告会社の事業資金を蓄積する一方、自らも安定した生活が出来るようにするためというのであって、いずれも私利私欲に基づくものであり、その動機に格別酌むべきものが認められない。

3 本件犯行の態様は、いわゆるB勘屋多数に対し、多額の謝礼を支払って架空の領収証を作成させた上、その領収証を用いて多額の損金を計上したばかりでなく、B勘屋に支払った金員の一部を返還させるに当たり、わざわざ別会社を経由させ、更に、受取仲介手数料を代理受領させておりながら、これを簿外とするなどしたものであって、特に原判示第二の一、二の各事実につき、共犯者と綿密な相談を重ねて実行するなど、所得秘匿工作が計画的であることはもとより、その手段・方法も甚だ巧妙である。

4 被告人は、本件につき査察が開始されるや、関係者らと口裏を合わせて、同人らに虚偽の供述をさせるなど、徹底した証拠隠滅工作に及んでおり、その犯情が極めて悪質である。

原判決は、大要、右の四点を指摘し、これらに照らすと、被告人の刑責は誠に重いといわざるを得ないとした。

二 原判決が有利に判断した諸情状について

他方、原判決は、被告人に有利な諸般の情状として以下の点を指摘している。

1 被告人は、捜査開始の当初、本件犯行を否認していたが、その後、事実の総てを認めて捜査に協力している。

2 被告人は、被告会社の代表者の地位を退いた上、財団法人法律扶助協会に一〇〇〇万円の贖罪寄付をするなど本件については深く反省している。

3 被告人が本件犯行に及んだ背景には不動産業界の悪弊が存することも否定出来ない。

4 被告人が本件犯行に及んだ背景には共犯者の強引な指導に影響された面がないでもない。

5 被告会社において、本件逋脱にかかる各法人税につき修正申告をして、その本税のみならず、その他の附帯税も総て完納したほか、その経理体制を整えて再発のないようにした。

6 共犯者や近時における同種事案との刑の権衡

原判決は、右の六点の事情を指摘したものの、これらを考慮に入れても第一審判決の処断は妥当であるとした。

第二 原審の審理過程で出現した原審裁判所の真の量刑理由について

原判決は、右第一の一、二に記載した有利、不利の各理由を列挙してはいるが、原審裁判所の真の量刑理由は結局において被告会社の逋脱金額であり、これに尽きるというものであって、原審裁判所がそもそも逋脱金額以外の事情と理由とは考慮するまでもないことであるとの心証と結論を予め持った上で審理の場に臨んでいたことが、以下のとおり、極めて明白なものになっている。

すなわち、このことは原審における被告人質問の際の裁判長の発言で明白になっているので、記録に基づきこれに関係する部分を再現する。

それは、以下の原審の被告人質問調書にある

(上段・裁判長の質問 下段・被告人の返答 以下同じ)

(裁判長)

「先程一審で実刑判決を受けてびっくりしたということだったんですが。」

(被告人)

「はい。」

「一審の弁護士さんと相談したときに、この事件については執行猶予になるだろうというような予想を言われたことはあるんですか。」

「いや、執行猶予になるだろうというようなことは、お話は聞きませんでしたけれども、いわゆる検事調べの中でも素直に認めて、争うことのないように頭を下げていれば、いい結果が出るかも知れないと、こういうことは言われたことはあります。」

「争わないほうがいい結果になるだろうというようなことは言われたと。」

「はい。」

「ほ脱額が五億円を超しているような事案で、ほかの事件で執行猶予になったような例はないんですけれどもね。そういう実刑の可能性が高いということについて、なんか言われたことないですか。」

「やはり、厳しいようなことを、そのニュアンスはちょっと今、思い出せませんけれども・・・。」

「かなり厳しい判決になるんじゃないかというようなことは助言されたんですか。」

「ええ、厳しいかもしれないよというようなことの話は、直接これは間違いなく実刑だとか、というようなことはないですが、ただ、非常にいろんな意味で、検察庁の調べでも協力しているし、頭を下げて改悛の情を示しなさいと、そうすればいい結果になるかもしれないというようなお話をいただいたことはあります。」

「全く別のことですが、・・・・・」

とのやり取りの部分である。

ここに如実に示されている原審裁判所の量刑についての認識に従うならば、本件が逋脱額において五億円を超えている事案である以上、被告人に対する処断についての結論は、審理を待つまでもなく、そもそもその発言のとおりに予定されていたことになる。

原審裁判所は、『ほ脱額が五億円を超しているような事案で、ほかの事件で執行猶予になったような例はない』と考えていたわけであり、そうであれば、被告人に対する処断の適否に関する本件控訴審の判断は、公判廷での審理の要がないばかりか、第一審の一件記録を精査する要までもなく、ただ、第一審の判決書に表記された認定事実中の逋脱金額を一瞥しただけでよく、この作業をするだけで終わっていたことになる。

これでは、被告人はまさに審理もなく「問答無用」とされたのと同然である。

してみれば、原判決の前記の有利、不利の事情の指摘と列挙は、単に判決書の体裁を整える修辞句の羅列に過ぎず、原審裁判所の量刑に対するまことに融通性のない不合理な基本的態度を隠蔽し、粉飾するための装飾に等しいと言わざるを得ないのである。

第三 ほ脱額五億円を超過する事案の執行猶予による処断例について

原審裁判所は、『ほ脱額が五億円を超しているような事案で、ほかの事件で執行猶予になったような例はない』との発想に支配されているので、そのような認識自体が正しいものであるのか否か、また、これが果して合理性、普遍性を有するものか否かが検討されなければならないところである。

これがそもそもにおいて誤った理解であるならば、原判決の量刑判断は、縷々理由を列挙しているにもかかわらず、そもそも判断の出発点で誤認があり、普遍性をもった判断であるとは言えないのであるから、この点において既に極めて不当なものであることとなり、その余の検討をするまでもなく、これが破棄されなければ著しく正義(普遍性)に反することとなるからである。

ところが、逋脱額が五億円を超える、或いは、同金額に近い脱税事犯であっても、被告人に対して執行猶予の処断にとどまった判決事例の主なものとしては、

A 逋脱額約七億二三〇〇万円の法人税法違反事件

処断 懲役二年六月 執行猶予五年

(東京地方裁判所 昭和五七年六月九日判決)

B 逋脱額約四億四八〇〇万円の法人税法違反事件

処断 懲役一年六月 執行猶予三年

(佐賀地方裁判所 昭和六三年一月二九日判決)

C 逋脱額約五億一七〇〇万円の法人税法違反事件

処断 懲役三年 執行猶予四年

(名古屋地方裁判所 昭和六三年三月二五日判決)

D 逋脱額約四億九六〇〇万円の所得税法違反事件

処断 懲役二年六月 執行猶予四年

(東京地方裁判所 昭和六三年六月一五日判決)

E 逋脱額約五億五〇〇〇万円の所得税法違反事件

(いわゆるタテホ事件)

処断 懲役二年 執行猶予三年

(神戸地方裁判所 昭和六三年六月二七日判決)

F 逋脱額約四億三九〇〇万円の法人税法違反事件

処断 懲役二年 執行猶予四年

(那覇地方裁判所 平成元年一一月九日判決)

G 逋脱額約七億一六〇〇万円の所得税法違反事件

処断 懲役三年 執行猶予四年

(東京地方裁判所 平成元年一二月二五日判決)

等があるのであって、原審裁判所のこの種事案に対する前記の『ほ脱額が五億円を超しているような事案で、ほかの事件で執行猶予になったような例はない』との量刑状況についての認識は全く誤ったものであると言わざるを得ないのである。

したがって、原審裁判所の量刑判断はそもそも誤った認識を出発点にしており、公判廷での発言からも明らかなごとく、その余の事情など歯牙にもかけていないのであるから、原判決の量刑判断はその内容を吟味するまでもなく、この点で既に極めて不当なものであり、これが破棄されなければ著しく正義に反するものであると確信する次第である。

なお、本件事案の場合、逋脱額のうち大半を占める判示第二の各事実によるものは金五億六〇〇万円余りであるが、これにかかる犯行は正規の税理士である共犯者の指導と言辞に慫慂され、これに従った結果増幅したものであって、この点は被告人の責任を減殺することはあっても増加させるものではなく、この事情をも加味し、前記の各判決例に照らすと、原審裁判所の明言するに『ほ脱額が五億円を超しているような事案で、ほかの事件で執行猶予になったような例はない』などと、一言をもって処断についての結論を決め付けることなど全く出来ない筋合いであることは極めて明白である。

以上のとおりであって、原判決の量刑判断がまったく正義にもとるものであることは極めて明白であると確信する所以である。

第四 原判決の情状に関する認定内容についての反論

既に指摘したように、原判決の量刑判断はその内容を検討するまでもなく、そもそも独断から出発していて既に不正義極まりないものと言わざるを得ないのであるが、原判決がせっかく理由として列挙したところも必ずしも正鵠を射たものではないので、なお不利な事情として列挙された点につき弁護人を主張を陳情する。

一 本件逋脱の規模、金額について

本件の逋脱金額が高額であり、逋脱率もかなり高率であるとの点については、弁護人も遺憾に思うのであるが、なお、前述したとおり、本件逋脱額の大半は判示第二の各事実による金五億六〇〇万余りであって、このような金額の増加は、被告人が正規の税理士である共犯者の指導と言辞に慫慂された結果なのである。

原判決も指摘するように、被告人は右共犯者の強引な指導に影響されたのであって、約束手形の利用、借入金の設定等の経理上のメリットを教えられ、必ずしも脱税というよりは節税方法というに近い認識で行動していた面もあり、共犯者の強引な利益圧縮に関する提案を受けてこれに及んでいたため、その金額が増加してしまった面が認められるのである。

その結果として、逋脱額が右のような多大な金額にまで至ってしまったものであり、さしたる経理、税理の知識のない被告人が、正規の税理士であり、メインバンクから紹介された共犯者の言辞に引きずられてしまった結果であることを考慮に入れるべきであると確信するものである。

二 本件逋脱の動機について

原判決は、前述のとおり、動機について

「私利私欲に基づくものであり、格別酌むべきものが認められない。」

としている。

しかし、これは単純かつ画一的な評価であると言わざるを得ず、被告会社のような、創業後間もなく、経営基盤すら極めて不安定であり、業容の変化の激しい業種の零細企業の特殊性に思いを至さず、修辞句として一般論を述べたに過ぎないものであると言わざるを得ない。

本件被告人が、専ら遊興を尽くすためとか、奢侈を旨とする生活をするためとか、単に私財を蓄積するためとかいった目的のためなどではなく、個人商店とも言うべき零細企業の経営者として、将来不況の到来することを慮り、それに備えて被告会社の事業資金を蓄積するためであったとの認定に達したのであるならば、右の全く個人的な嗜好に支配された脱税事犯とは格段の相違が存するのであるから、これに相応の理解を示してしかるべきである。

しかも、事業運営の安定化には、原判決も指摘するように、不動産業界では裏金、リベート等が現実問題として横行し、これに充てる資金を必要とする悪弊が存することに思い至るならば、決して前記のような画一的な文言で被告人の動機を決め付け、非難することは皮相な理解であると言わざるを得ないのである。

本件被告人の動機を有利な情状として汲み得ないとするならば、動機についていかなる事情があればこれを有利な情状として汲んでいただけるのであろうか。

原判決の論理と評価からすれば、いかなる事案にあっても、こと動機に関してはおよそ有利な情状など存し得ないことになる。

原判決の動機に関する指摘がまったく意味のない修辞句であるとする所以である。

三 本件逋脱の態様について

原判決は、本件犯行の態様について、

いわゆるB勘屋多数に対し、多額の謝礼を支払って架空の領収証を作成させた上、その領収証を用いて多額の損金を計上したばかりでなく、B勘屋に支払った金員の一部を返還させるに当たり、わざわざ別会社を経由させ、更に、受取仲介手数料を代理受領させておりながら、これを簿外とするなどしたものであって、特に原判示第二の一、二の各事案につき、共犯者と綿密な相談を重ねて実行するなど、所得秘匿工作が計画的であることはもとより、その手段・方法も甚だ巧妙である。

としている。

しかしながら、本件記録を精査すれば、むしろ本件脱税の行為、態様は、単純かつ稚拙なものであると言うべく、査察を受ければたちまちその全貌が明らかになるものであった。

本件逋脱の方法は、そのほとんどが架空経費の計上というものであるが、その金額が高額であることから、かえって、一見して不自然さを感じさせるものであった。

この一事を見ても、原判決の言う手段・方法が甚だ巧妙であるとの指摘を当を得ないものと言わざるを得ないのである。

四 被告人の証拠隠滅工作について

原判決は、被告人の証拠隠滅工作について

被告人は、本件につき査察が開始されるや、関係者らと口裏を合わせて、同人らに虚偽の供述をさせるなど、徹底した証拠隠滅工作に及んでおり、その犯情が極めて悪質である。

として、被告人を証拠隠滅の首魁であるとの指摘をするが、この点も誤りであり、なお、被告人が証拠隠滅工作の一端に関与したことはあるものの、「捜査開始の当初、本件犯行を否認していたが、その後、事実の総てを認めて捜査に協力している。」とするのであるから、右の工作への関与の悪性を充分に減殺されていると言うべきである。

原判決の右の首魁と指摘する点については、関係者の供述から明らかなように、あくまで本件の証拠隠滅は、犯行を先導していたために、自己への波及が税理士資格の剥奪というこの上のない不利益に繋がるという切迫した事態に直面していた共犯者小澤税理士が中核となって行われたものであることが明らかなのであって、原判決はこのような事情と事実関係であったことを看過していると言わざるを得ないのである。

第五 第二ないし第四の点に加えて、原判決が有利な事情とした諸点をあわせ考えれば被告人に対する実刑の処断は正義に反し、不当に重いものである。

原判決は、被告人に有利な諸般の情状として前記の各事情を指摘しているのであるが、前第二において考察したように、被告人に対して不利とされた事情はいずれも原審裁判所の皮相な理解と評価に基づく形式的な指摘に過ぎない。

そして、何よりも、原審裁判所は『ほ脱額が五億円を超しているような事案で、執行猶予になったような例はない。』との前提で結論を先取りし、その辻褄合わせに不利とする事情を挙げていることからすれば、この量刑についての評価は恣意的なものであるとすら言えるのである。

このように、原判決の量刑判断は到底合理性を持ちえないのである。

以上のとおり、本件の全ての情状を考えれば、被告人に対しては自力による更生を期待した社会内処遇の途をとるべきであって、原判決は、一般予防を重視しすぎる余りに、前記の『ほ脱額が五億円を超しているような事案で、執行猶予になったような例はない。』などという何ら合理性のない誤った認識に支配されたまま、形式的な量刑理由を羅列して、実刑判決をもって臨んだのであって、この刑の量定が著しく重きに失するとともに極めて不当であることは明白であり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと確信する。

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